「僕たちの時代」
石原慎太郎の幼少期懐古エッセイ。
その頃から戦争中にかけて天皇を神格化して言うことに子供心に猜疑というかある愚かしさを感じぬ訳にはいかなくなった。天皇に関する子供心にも滑稽というか愚かしくも見える事柄が多々ありすぎた。
当時の小学校のほとんどは木造で火事になると容易に全焼したものだった。その火の中へ果敢にとびこんでいって天皇の御真影なる写真をとりだしてきた校長は褒められ、諦めて御真影を焼いてしまった校長は非難され自殺までする始末だった。
天皇が起こした戦争の中で戦死する兵隊の多くが死に際天皇陛下万歳と叫んで死ぬなどという現象は異常で、どこの国の兵隊が死ぬ間際にその国の大統領や皇帝の名を叫ぶことなどありはしまいに。
そしてその翌日に天皇の戦争終結の玉音放送なるものを聞かされた。粗末なラジオから伝わってくる初めて聞かされる天皇の声、あのちょび髭をつけ白馬にまたがり神様とあがめられていた男の奇矯な声に驚かされ幻滅したのを覚えている。
そこで絵には自信があった私が部屋の板壁に若い女の全裸を隅で描き、『ああ君よ、我らが視姦に耐える永遠の処女よ』と大書したら寮中で評判になり引きもきらぬ来客に悩まされたものだ。聞けばある時部屋が留守の折にやって来てその絵を眺めながらマスターベイションをした男までいたそうな。
敗戦の後あるショックを国民にもたらした出来事は戦争犯罪人を裁く裁判が日本でも始まりそうな頃、GHQに命ごいにいった天皇が建物の玄関でマッカーサーと並んでとった写真の強い印象だった。相手は傲然と後ろ手で突っ立っている横で我が天皇は直立不動の姿勢でたたされていた。