「赤い砂を蹴る」

母親の死を契機に仲を深めた母親の友人と共に、彼女の故郷ブラジルを訪れ、母親の死を受容する物語。

 

「お母さんには生きててほしかったよ。でも、もしお母さんが生きてたら、芽衣子さんともこんなに親しくならなかっただろうし、ブラジルにも来てなかったとも思う。まだ一年半しか経ってないのに、私の人生はもう、お母さんの死なしには考えられなくなってる。大輝もそう。大輝が生きてたらどうなってたのか、いまじゃもう想像もできない。ふたりの死は悲しい。なのに、その死を否定することもできない。ふたりの死は悲しい。なのに、その死を否定することもできない。それはたぶん、私自身が自分の人生を否定したくないと思ってるからだと思う。ふたりの存在を抜きにした私の人生は考えられないから。ふたりの存在を肯定するためには、死んでしまったことも全部ひっくるめて、肯定せざるをえない、そういうことなんだと思う。」

 

石原燃(2020)「赤い砂を蹴る」『文學界』第74巻第6号 73頁 文芸春秋