ある日曜日
今日は8時に目が覚めて、寝起き様にUFC Fight Night: Ortega vs. The Korean ZombieをUFC Fight Passで観る。プレリムは5時からやってたんだなそういえば。見始めたら丁度メインカードが始まったところだった。
正直どの試合もつまんないんだけど(UFCの選手は人となりを知らないので)、Thomas Almeidaに勝ったJonathan Martinezが、勝利者インタビューでDaniel Cormierに「次誰と闘いたいんだ?」と無邪気な質問されてて「分からない(I don't know)」って迷惑そうな顔で答えてて笑った。
観戦中に洗濯物洗って、洗い終わった音がピーピー鳴ってたんだけど、試合観てたし眠いし面倒だったので、1時間くらい放置してしまった。案の定UFC終わってからベランダに干してたら、もう少し臭う。短期間でも菌が繁殖するのかしら。
洗濯物も終わったし腹も減ったので、午後の予定を考える。いつか県立図書館に行こうと思ってたので行くことに。近くの飯屋をGoogle mapで検索したら、創作うどん屋が出てきたので行ってみることに。
世間の人たちは赤ちゃん以外みんなマスクしてるけど、ぼくは社会的距離が保てる状況ではマスクをする必要がないと思っているので、モノレールの中でもガラガラなのでマスクはしない。
件のうどん屋は通りから少し中に入ったところで、歩いていても住宅街で全く飲食店のある様な雰囲気ではなかった。が、Google先生の言う通りちゃんとうどん屋があった。
場末のバーみたいな建物なのに、カウンターと座敷がある。おすすめが「かすうどん」らしいのでこれを注文。大阪河内の料理らしい。「河内」が地名なのか地方名なのかよく分からないけど、牛の腸を揚げたやつを「かす」っていうらしい。ランチ時はご飯無料らしいけど、もうぼくが行ったときには切らしていたらしく、代わりに無料で大盛にしてくれた。ありがたい。
驚くほど旨いって訳じゃないけど、その「かす」が良い味を出していて、クセになる感じ。常に腹の調子が悪いぼくには、消化の良いうどんはもってこいなので、また来ようと思う。
国道の反対側の商業施設の中に県立図書館があった。ずいぶん新しくてきれいな建物。外の階段を上って更に建物内のエスカレーターを上って図書館の入り口に到着。ただただお洒落だなあという印象。
入口の中に利用者目安箱コーナーがあって、変な意見に真面目に回答してて笑った。「『月刊将棋世界』の内容が難しすぎるので、もっと簡単な雑誌を置いてくれ」など。回答は「雑誌としては各分野から基本的に1冊しか置けないので、総合的な情報が得られる雑誌をセレクトしている。基本的な将棋の知識は他の蔵書を参照してくれ」との回答だった。僕は自分が読みたい雑誌・書籍は自分の金で買って読むタイプなので、自分で買えばいいのにと思う。
と、ここまでは印象が良かったけど、やはり蔵書の数は物足りない。今まで国立大学の図書館とか国会図書館を利用してきたぼくだから、たぶんどこの図書館に行っても満足できないんだろうけど。
お目当ての琉球諸語関係の書籍は郷土史関連図書を置いている5階にあった。正直玉石混交。こんな本も置いてるんだ!と思いきや、あの本も置いてないんだ。。。という。せっかく沖縄にいるんだからこの機会に勉強すべきだなと改めて思う。まあ3日坊主にも達しないと思うけど。面識のある研究者の方が権威のある本に執筆されててさすがだなあなどと。参考文献を見ると読みたい論文・書籍がどんどん増えるという、学生時代のような感覚に新鮮味を覚える。
4時間くらいいて満足したので帰ることに。職場の同期が飯食おうみたいないこと言っているので落ち合うことに。
家の近くの居酒屋で野郎3人で軽く飲むことに。飲みながら今日何をしてたの、なんて話をしていてびっくり。1人の奴がぼくと同じ場所、つまり県立図書館にいたらしい。世界は狭い、というより沖縄は狭い。
ブルーノート / open close
3、4年前?何かの対バンライブで目撃してから好きになったバンド マイミーンズ。
6月3日に新譜をリリースしたとのこと。
本日、マイミーンズ “ブルーノート / open close”配信リリースしました🎉
— マイミーンズ (@mymeans_info) June 3, 2020
各種サブスクリプションでもお楽しみ下さい🎧
収益はFLAKE RECORDSへ全額寄付させて頂きます。
よろしくお願いします🙏https://t.co/cGwJt7V9iD pic.twitter.com/Ma33zwDDyw
YouTubeでよく聞いていた「open close」が入ってるし!!
未だにサブスク音痴の僕はiPodをまだ使ってるので、iTunesでダウンロードしましたよ。
またライブ観たいな~。
「アンソーシャル ディスタンス」
就活中の沙南と就職前の幸希とのコロナ禍における恋愛模様。「普通」じゃない不器用メンヘラ女vs「普通」な器用陰キャ男との戦い。
彼はきっといつか挫折する。初めて会ったときに抱いたその予想を裏切り続け、彼は無難に単位をとり無難にレポートを書き無難に発表をし無難に就活をし無難な会社に内定を得た。『嫌だな』、と彼はいつも言う。授業に行くのもレポートを書くのも人前で発表するのも飲み会も家に帰るのみ予約の電話をするのも勉強も就活も就職も、彼は『嫌』けど、どんなに『嫌』でも何でもそつなくこなせるし、『嫌』な世界に『嫌々』生きることができるからだ。七転八倒しながらここまで生きてきた私とは、彼は違う。人付き合いも勉強も、いやでもそれなりにできて、致命傷を負わないまま生き延びられる人なのだ。
どこにも本気で参加したいと思ってないくせに大体どこにでも腰掛け程度に参加して誰からも嫌われないし別段好かれもしないけどそこにいることに誰も違和感を抱かない立ち位置をキープして中身が薄いくせに小賢く世渡りしてる奴。私の第一印象はそうだった。だから彼が唐突に吐露した『自分が嫌いだ』という言葉は意外で、死ぬことを考える?という質問に『考えるよ』とこちらの反応を窺うように呟いた憂鬱さと自信のなさを滲ませた表情を見て、彼は初めて恋愛対象になったのだ。
私は幸希のこの普通さが、普通に幸せになることを求めているところが、この世界が生きるに値する可能性を純粋に考えられているところが愛おしくて嫌いだ。この世の99%のことが『嫌』で、人と勉強と人付き合いが嫌いで、本当はほとんどのものを見下しつつ無害な好青年を気取ってそれなりにうまくやっているところが、カーブの強い歪みを私以外の誰にも見せないところが、いい人そうで全然いい人じゃないところが、自分勝手な人に憧れながら自分は全く自分勝手になれないところが、そんな自分が好きじゃないくせに変わろうと努力をするほどの気概もなく、何となく無難に生きて死んでいく人生を予測しながら実際にそのレールを『嫌だなあ』と呟きながらとぼとぼと歩いている彼が、大嫌いで好きだ。
全ての恋愛は洗脳的な側面を持っている。それは宗教が恋愛に似ていることによって証明されている。くらいのことを言い返してくれるような人だったら良かったのに、幸希は弱々しく、邪悪なものと闘う気力がない。自分の意見を拒絶されてたり否定されたりすると反論もせず、この人は分かってくれない、と自分の殻に閉じこもるのだ。面倒なのは殻に閉じこもり誰とも心を通わせないまま、それなりに誰とでも問題なく付き合えてしまうところだ。
コロナはそんな弱気な私を嘲笑うかのように世界に蔓延し、人々に取り憑き、今も勢いよく拡大を続けている。何もなくても日に日に死に取り憑かれ力を喪失し鬱になっていく私と違って、コロナはEDMのフェスでアメフト出身のガタイのいい男に肩車をさせ踊り狂う陽キャなセレブパリピ女のように、この世に敵なんて存在しないと本気で思い込んでいるかのように、向かうところ敵なしの勢いで人々を汚染していっている。
激しくとっ散らかった火花をバチバチ弾け飛ばしてふっと消える花火。沙南のことを思う時、いつもそんなイメージが浮かぶから、ずっと彼女の周りに風除けの手を差し伸べ、強い風から守ってきたつもりだった。彼女の火を絶やしたくなくて、風が当たらないように雨が降らないように生き急がないように、守り続けてきたつもりだった。
私の心中への欲望は、ああもう色々めんどくさいし色々憂鬱だし色々不安だから全て消えてしまえという衝動に近い。
「一人でここから飛び降りようと思ってた。でも幸希が私が戻ってこなくて部屋で不安そうにしてる姿が浮かんだ」
「不安だったよ。もうあんな思いはさせられたくない」
「それでそのあと、赤ちゃんができたって分かった時散々不安で泣きながら、幸希と私と赤ちゃんの三人で一緒にいる姿が見えたのを思い出した。私と幸希が、赤ちゃんをあやしながら幸せそうにしてた。あの時見えた画だけが私をあと一歩の死に向かわせてくれない。これまでの自分にもこれまで気づいてきた人間関係にもどんな過去にも何の執着もないのに、あの時見えた未来だけが私に執着させる。堕胎したことが死にたい理由にもなってたのに、妊娠したことが私に生に執着させるなんて酷い話」
「コロナみたいな天下無双の人間になりたい」
窓に向けたカウチに座り一時間も外をぼんやり見つめていた沙南が唐突に振り向き突拍子もないことを言い出すから、えー、と呟き閉口する。
「どうして私も幸希もこんなに弱いんだろう」
「ごめん」
「何があっても死ぬことなんか考えないようなガサツで図太いコロナみたいな奴になって、ワクチンで絶滅させられたい。人々に恨まれて人類の知恵と努力によって淘汰されたい」
金原ひとみ(2020)「アンソーシャル ディスタンス」『新潮』第117巻 第6号 7-36頁 新潮社
「僕たちの時代」
石原慎太郎の幼少期懐古エッセイ。
その頃から戦争中にかけて天皇を神格化して言うことに子供心に猜疑というかある愚かしさを感じぬ訳にはいかなくなった。天皇に関する子供心にも滑稽というか愚かしくも見える事柄が多々ありすぎた。
当時の小学校のほとんどは木造で火事になると容易に全焼したものだった。その火の中へ果敢にとびこんでいって天皇の御真影なる写真をとりだしてきた校長は褒められ、諦めて御真影を焼いてしまった校長は非難され自殺までする始末だった。
天皇が起こした戦争の中で戦死する兵隊の多くが死に際天皇陛下万歳と叫んで死ぬなどという現象は異常で、どこの国の兵隊が死ぬ間際にその国の大統領や皇帝の名を叫ぶことなどありはしまいに。
そしてその翌日に天皇の戦争終結の玉音放送なるものを聞かされた。粗末なラジオから伝わってくる初めて聞かされる天皇の声、あのちょび髭をつけ白馬にまたがり神様とあがめられていた男の奇矯な声に驚かされ幻滅したのを覚えている。
そこで絵には自信があった私が部屋の板壁に若い女の全裸を隅で描き、『ああ君よ、我らが視姦に耐える永遠の処女よ』と大書したら寮中で評判になり引きもきらぬ来客に悩まされたものだ。聞けばある時部屋が留守の折にやって来てその絵を眺めながらマスターベイションをした男までいたそうな。
敗戦の後あるショックを国民にもたらした出来事は戦争犯罪人を裁く裁判が日本でも始まりそうな頃、GHQに命ごいにいった天皇が建物の玄関でマッカーサーと並んでとった写真の強い印象だった。相手は傲然と後ろ手で突っ立っている横で我が天皇は直立不動の姿勢でたたされていた。