「湯治」
上場企業のサラリーマンが都会の喧騒を離れ、近頃疼く古傷を湯治しようと地方の温泉で宿泊する。温泉で怪我を癒す中で、心の古傷が疼きだしてしまう。
怪我と哀しみは似ている。どちらも日に日に治療していく。けがは内服薬や外用薬で治り、悲しみは日日薬で治る。してみると、心の古傷が疼く、なんてこともあるのだろうか――、湯船に浸かりつつ、のぼせた頭でそんなことを考えていた。
彼はある地点で、自分の中にある部分が止まってしまったようにも感じる。彼は彼自身を置き去りにして、どんどん前へ進んでいく。それは復路のないバスに乗るようなもので、彼は懸命に車窓の向こうを記憶しようとするが、結局あらゆる風景は流れすぎてしまう。
昨日できなかったことが、今日できるようになる。彼女はそういう時間の中に生きているのだ。
久しぶり
新生活が始まり、また落ち着いてきたのでくっそ久しぶりにブログを更新。
車を買ったので通勤・帰勤(「通勤」の対義語がないの不便)時にiPodに入ってる音楽を聴いてる。
ドライブミュージックって単語を今まで肌感覚で理解してなかったけど、なるほどなと思う。
イヤホンで聞きたい音楽とまた違う感じがする感じがするかも。
それ用という訳ではないがシサシブリニ曲を購入。
流石の俺でも、もうCD買って、リッピングして~、っていう作業がメンドクサイので、iTunes Storeで買う。
出てるのは知ってて買いたいなと少し思ってたけど全然買う動作にも移さずに無視してたCDたち。
女性ボーカルのバンドばっかでキモくてごめんなさいね。。。
男性ボーカルで好きな歌手(現役)が笹口しかいないのよ。
また今度。
「赤い砂を蹴る」
母親の死を契機に仲を深めた母親の友人と共に、彼女の故郷ブラジルを訪れ、母親の死を受容する物語。
「お母さんには生きててほしかったよ。でも、もしお母さんが生きてたら、芽衣子さんともこんなに親しくならなかっただろうし、ブラジルにも来てなかったとも思う。まだ一年半しか経ってないのに、私の人生はもう、お母さんの死なしには考えられなくなってる。大輝もそう。大輝が生きてたらどうなってたのか、いまじゃもう想像もできない。ふたりの死は悲しい。なのに、その死を否定することもできない。ふたりの死は悲しい。なのに、その死を否定することもできない。それはたぶん、私自身が自分の人生を否定したくないと思ってるからだと思う。ふたりの存在を抜きにした私の人生は考えられないから。ふたりの存在を肯定するためには、死んでしまったことも全部ひっくるめて、肯定せざるをえない、そういうことなんだと思う。」
寝てばっか
生活リズムがめちゃくちゃ。
一昨日は、家に帰ったの23時。
昨日は、6時半起きで28時帰宅。
今日は終日睡眠。
コンビニ飯、部屋ゴミだらけ。